シモンズ記念碑

本学附属市民総合医療センター(市民センター病院)が平成12年1月1日に開院した際、新病院新築記念として、倶進会よりシモンズ博士記念碑を横浜市に寄贈致しました。(「倶進会たより」第84号参照)

記念碑は、新病院入口のメディカルモール中程右側に設置されました。
高さ2.78メートル、幅1.48メートルの白御影石仕様です。アーチ型上部にシモンズ博士の肖像がはめこまれ、下部に荒井保男先生による博士の紹介文と会長の建設の辞の銘文、及び十全醫院の図が、銅板に刻まれています。平成12年5月13日(土)には、横浜市健康福祉総合センターで、「シモンズ博士記念碑」設立記念講演会が開催されました。

シモンズ博士と市大

今でこそ2ヶ所に分かれて附属病院と市民総合医療センター(市大センター病院)となったが、その歴史を知る者にとっては、浦舟町の病院をもって、またこの地をもって、市大病院および市大医学部発祥の地と考えることに異存はないと思う。

即ち、1926年(大正15年)に前身である十全医院が新築された。いわゆる大正大震災の直後のことである。

それまで十全医院は東京湾を見下ろす高台の野毛山にあった。現在、老松(おいまつ)中学校が在る所で、すぐ下には市立中央図書館が建っている。ここに1873年、中区太田町6丁目に在った「中病院」を移転させた。シモンズ博士は来日以来、宣教師活動を止めて医師としてこの「中病院」の頃から勤務している。このシモンズ博士については本紙の「横浜医学の源流を求めて」に荒井保男先生が資料に基づいて詳細に執筆されている(現在までの連載23回)。それによると、当時多かった脚気患者について、また前世紀的な疾患の代表である伝染病に対する予防といえる「防恙(ぼうしつ)法」の建言、病理解剖の実施など多くの業績がある。これは近代医療としては画期的なことであった。

このような事蹟の上に現在の日本の医学や市大医学部があることの意義を考え、倶進会ではシモンズ博士のモニュメントを建設し、病院(横浜市)に寄贈した。

(倶進会たより86号「シモンズ博士記念碑」設立記念講演会のお知らせ/平成12年4月30日発行 より抜粋)

「シモンズ博士記念碑」設立記念講演会

幕末に訪日、我が国近代医学の先達の一人であったD.B.シモンズの記念碑が、そのヨコハマにおける業績を讃えて浦舟町の市大センター病院内に設立されました。
これを記念して当時の我が国の医療について、またシモンズの果たした役割と価値についての講演会が、2000年5月13日、横浜市健康福祉総合センターにて開催されました。

  • 幕末から明治にかけての日本の医療について
    順天堂大学医史学教授
    酒井 シヅ先生
  • シモンズと横浜野毛山十全医院について
    日本医史学会会員・飯山医院院長
    荒井 保男先生
主催 横浜総合医学振興財団・横浜市立大学医学部同窓会倶進会・日本医史学会神奈川地方会
協力 横浜市中央図書館

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