横浜医史跡めぐり 12 野口 英世と横浜

ゆかりの細菌検査室は保存会・市のお蔭で立派に史跡として…
衣笠 昭

京浜急行金沢八景駅とJR新杉田駅を結ぶシーサイドラインの幸浦駅近くに、並木地区住民の憩いの場所であるなぎさ公園があります。ここはその名の示すとおり昔は東京湾の波打ち際でありました。この公園の西側にある神奈川県立循環器呼吸器病センターに通ずる細い道を上がっていきますと右側に横浜検疫所があり、正面にねじれた形をした碑が立っています。この奇妙な形は野口英世が梅毒患者の中枢神経より初めて発見した梅毒スピロヘータをあらわしたもので、野口英世博士を称える記念碑なのです。

この検疫所の横に緑に囲まれた明治時代ヨーロッパ風の建物があり、これがかつて野口英世の勤務した細菌検査所であります。現在は記念館となっていますが、昭和20年代は細菌検査室と病室があり、実際に業務を行っておりました。外国人を収容する施設だったためすべて洋風で、白く塗ったテラスが印象的だったことを覚えております。

野口英世は1900年(明治32年)より内務省医官補としてこの細菌検査所に勤務し、海港検疫法による来日外国人の検疫・伝染病患者の隔離に従事しておりました。当時入港予定の外国船よりペスト患者を発見、国内に蔓延流行する惨事を未然に防いだ功績を残しております。

建物はL字型になっており、中に入りますと部屋が数室に分かれており、当時使用されていた検疫用のいろいろな器具や、当時この検査所を訪れた有名人の書が整然と展示してあります。細菌検査室には野口英世の写真が飾られ、顕微鏡その他の検査用具が当時を物語っております。

その後野口英世はアメリカに渡り、ついでガーナで黄熱病の研究中感染して逝去されたことはよく知られており、その功績を称えた銅像や野口の名をつけた研究所が世界各地に存在します。

昭和30年代になって外来伝染病が少なくなったため、検疫業務が縮小され、この細菌検査所も閉鎖されました。その後は訪れる人もなく荒れるにまかせたのですが、野口英世の功績を称える市内有志の方のご努力により「野口英世博士ゆかりの細菌検査室保存をすすめる会」が結成され、横浜市当局の協力のもとに建物の清掃・保存に尽力されております。機関紙「ながはま」は1995年5月で21号を発行し、事務局を横浜市南区に置き、代表者は小暮葉満子氏であります。

国の内外にその名を知られた野口英世博士と横浜との関係は、検疫という国民生活に重要な業務によって結ばれておりました。この緑豊かな地に建っている細菌検査所を見学し、博士の偉大な功績を思い起こすことも横浜を知るひとつではないでしょうか。

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