横浜医史跡めぐり 10 山手病院 (The Bluff Hospital)

数多の名医による歴史的な役割を果たし、今は診療所として…
大村 敏郎

開院以来功績者名を刻んだ銅板 横浜山手病院は1982年に廃院になり、120年近い歴史を閉じた。
今は辿るよすがになるものは左の写真にみる銅板のみで敷地の一部がブラッフクリニックになっている。

居留地住民のため、つまり外人専用の病院として1863年に山下町88番地に建てられた。はじめThe Yokohama Public Hospitalと呼ばれ、1867年からはThe Yokohama General Hospitalと改称したが、山手の断崖の近くにあったため断崖絶壁という意味の英語bluffという言葉を使ってThe Bluff Hospitalと呼ばれたこともあった。Bluffは固有名詞としては横浜山手のことと辞書にも刻されている。

JR石川町駅から行く、ブラッフホスピタル跡へのアクセスマップ 1923年関東大震災で倒壊し火災にもあった。1937年山下町81,82番地に再建。その間は仮施設でしのいだ。第2次大戦が激化し、1944年に山手地区が外人立入禁止区域になったため横須賀海軍病院に賃貸された。戦後は進駐軍に接収され正式名がThe Bluff Hospital(山手病院)となった。開港から明治・大正・昭和も戦前・戦後と激動の時代を横浜で個性ある病院として生きのびていたが、患者数が減ったため日本人患者も受け入れるように変わり外人専用という個性的な存在意義をなくして姿を消すことになった。

関東大震災で貴重な資料が何も残されていないので、この病院の歴史的なことは検証できないが、ここで活躍した医師たちの中には初代院長のジェンキンス(G.R.Jenkins,1834~1870)の他、エルドリッジ(S.Eldridge,1843~1901)、マンロー(N.G.Munro1867~1942)、ウィーラー(E.Wheeler,1841~1923)など日本の医学・医療に大きく関わった人々がいて、それらの活動の温床であったことは否定できない。

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