横浜医史跡めぐり 9 外人墓地(General Cemetery on the Bluff)

沈黙の歴史の宝庫 資料館をえて粧いも新た
大村 敏郎

外人墓地といえば横浜に異国情緒をそえる代表的な場所である。4つあるうち、特に中区山手町96の墓地は市民に親しまれている。

開国の調印交渉中にアメリカ兵の死者が出たことが引き金になって、1861年に設置された。その後外国人の殺害事件が続き、犯人があがらないまま、墓地は土地も管理も日本側が負担せざるをえない状態が続いた。墓地が故人の安住の地や異国情緒を伝える場所だけではなく、外交や政治的なかけひきが背景にあったことも忘れてはならない。

現在4,000人以上が埋葬されているが、宣教師、船員、商人、教員など横浜と関係の深い多くの職種の人々が含まれている。関東大震災のとき、当時3,000人近い外国人が横浜に在住していたが約3分の1の人々が犠牲になり、その多くがこの墓地に永眠しているので1923年没の人の数が目につく。

医学関係者ではエルドリッジ(S.Eldridge,1843~1901、米)の墓石が墓地正面を入って左の道路沿いにあって柵の外からも見えるほか、横浜市立大学医学部附属病院の前身であった十全医院の医師として働いたウィーラー(E.Wheeler,1841~1923、英)、日本に働く外国人の健康管理を担当したパーセル(T.A.Purcell,1841~1877、英)、山手病院で働いたダリストン(J.Dalliston,1821~1875、英)、フランス人ではマッセ(E.Massais、1836~1877)、メクル(A.Mecre,1846~1917)などの医師、日本薬局方の編纂に協力したり、後の神奈川県第一衛生試験所(現神奈川県衛生研究所)の基礎を作ったヘールツ(A.F.C.Geerts.1843~1883、蘭)らを偲ぶことができる。

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